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HI-KA-LI (Wind Reflections)

ヒカリ

HI-KA-LI (Wind Reflections)

東雲の霞める時に・・・ 藤田正典 作曲
この曲のタイトル「東雲の霞める時に・・・」は、とある山の中腹で、朝焼けに赤く照らされた靄の棚引く美しい情景に出合わせた時、その景観に心を奪われ、考えられた。作曲の動機は、勿論その時の幻想的な雰囲気に触発されたものである。しかし、この曲は、単に、色や形が様々に変化し、美しく浮遊する靄の情景を見て、それを音で描写しようとしたものではない。むしろ、その神秘的な靄の情景を見たときの心の揺れ、のようなものを表現しようと試みた。
初演:1991年3月8日 大阪
赤尾三千子委嘱作品
龍笛 赤尾三千子


光凪 一柳慧 作曲
私が、「光凪」の表題のもとに、作品を書いてみようという考えを持つに至ったのは、石牟礼道子さんが書かれた「入魂」と題された文章に接したことが大きな要素になっている。「入魂」は不知火の海に対して書かれた短文であるが、石牟礼さんの美しい言葉の背景に水俣のイメージが重なりあうとき、その言葉は一層深められ、輝きを増してくる。
私の拙作(あくまでも音楽という抽象的表現を媒介にした)は、石牟礼さんの不知水の海=水俣へ寄せる深い思いに及ぶべくもないが、作品の発想の契機となった「入魂」の一部を記して、石牟礼さんへの感謝のしるしにしたいと思う。
ーーーー凪というのは海に風がなくて、波がおだやかなのをいうのであろうが、光凪といえば、海の表が全く静止して、天の光をあまねくうけ入れるために、一枚の鏡と化すことをいうのだろう。
もちろん全ての表面ではなく、こぼれてやまぬ光のために海は内側へとひろがり、無数の鏡の細片のような波のさざめきで成り立っているように見える。
黄昏の光は凝縮され、空と海は、昇化された光の呼吸で結ばれる。
そのような呼吸のあわいから、夕闇のかげりが漂いはじめると、それを合図のように、海は入魂しはじめるのである。ーーーー
初演:1982年東京
赤尾三千子委嘱作品
龍笛 赤尾三千子
パーカッション 山口恭範

炎の かぎろいの 松下功 作曲
「 東の 野に炎の 立つ見えて かへりみすれば 月西渡きぬ」万葉集巻 1-48
この詩に表現されている東と西という対象的な方位、そして炎(太陽が昇ろうとして、東の空に茜色の光がさす)、月が沈むという相対的な図式と、双方に共有される移りゆく時の普遍性一その共存性一を能管と打楽器という二つの極を媒体に、詩の型式を時の経過として表現しようと試みた。
初演:1985年6月11日 ベルリン
能管 赤尾三千子 
打楽器 前金奈千子

シー・ゴル・ジブ カール・ストーン 作曲
龍笛とエレクトロニクスのための《シー・ゴル・ジブ》は、赤尾三千子さんの委嘱によって作曲された。西洋の作曲家として龍笛のための作品を書くことには、いくつかの難問があった。まず第一に、私がこの楽器にたいして文化的、技術的にあまりなじみがないことを考えると、この楽器のきわめて日本的な伝統をどう扱うかということがあった。第二に、このような古くからある尊い楽器の世界を、それとは異なる20世紀の機械の世界とどのように適合させるかということが問題であった。私は、儀式と神話の厳粛な音の世界を想像した。こうしたことを実現するために、赤尾さんが私を助けてくれたことには特に感謝したい。
この作品は、技術的になりすぎることなく、次のように作曲されている。赤尾さんが演奏した音楽がなまのデータに変換され、それは伴奏をするコンピューターとコミュニケーションし、コンピューターが「活気づく」ために使われる。反応の質(音程、音域、音色、およびある程度のリズム)は、コンピューター奏者によってリアル・タイムでコントロールされる。赤尾三千子委嘱作品
初演:1991年8月21日 郡山
龍笛 赤尾三千子
エレクトロニクス カール・ストーン


虚空 石井眞木 作曲
この作品は、1987年1月に急逝した、日本太鼓のグループ「鼓童」の代表者であった河内敏夫氏の追悼のために書かれた。
題名の「虚空」とは、一切の事物を包容して、その存在を妨げない無為法。また、空間を意とするが(広辞苑)、この作品では、境を異にした空間にいる河内氏との生前の交友を追想し、心象化し、龍笛と打楽器に託した曲である。曲中、鼓童のために書いた拙作「モノクローム」「入波」の律動の断片が引用されている。
初演:1987年4月21日 ベルリン
龍笛 赤尾三千子
打楽器 ベルリンパーカッション

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