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  • Writer's pictureMichiko Akao

水炎伝説 ~回想~



1990年5月、横笛赤尾三千子の世界「水炎伝説」は東京バリオホールで初演を迎えた。富士ゼロックス大西氏の協力を得て実現。作曲石井眞木、戯曲大岡信、演出実相寺昭雄、共演白石加代子、田中泯、閑崎ひで女、山口恭範、舞台小栗哲家、照明吉井澄雄、田中一光ポスターまで実現。

 私は1972年に石井眞木作曲「遭遇II」のアメリカ公演で横笛演奏家としてデビュー。小さい時からピアノを弾いてきた経験から、現代音楽作曲家の作品で、少しずつ仕事の場が増えていった。しかし笛を始めたのは大学に入ってから。伝統の家に育ったわけでもなく、自分の感性だけが頼りのような不安から、自分の笛というものを、しっかりと確立しなければと焦っていた。1977年、何もない所から、ともかく第一回「横笛赤尾三千子の世界」を開催。委嘱作品、古典、即興演奏など、先輩方に胸をかりながら、伝統世界に育たなかった私の笛を、独奏楽器として確立させて行くという方法をとることにした。1985年には念願だったオーケストラとの作品にも恵まれ、ようやくソリストとして認められた。1983年からロサンゼルスに拠点を移し、ネイティブアメリカンの儀式、シャーマンの世界に触れて、笛のもう一つの立脚点として、神楽を意識するようになった。現代音楽としての笛には、どんどん難しい技術が要求され、限界に挑戦し続けることにより、本来の笛の持つ輝きが失われて行くように感じていた。そこで神楽を通して、笛のルーツに立ち返り、笛の内なる声を聞き、笛が持つ本来の力を引き出そうと思い、いくつかの作品を経て至ったのが、水炎伝説だ。

 演出は実相寺さんと決めて、話をきいて頂いた。実相寺さんは私の今様を映画のタイトルバックに使って、炎の前で映像にしてくれた人だ。戯曲は、大岡信さん、 作曲は石井眞木さん。白石加代子さんとは以前から共演してみたいと思っていた。幸運にも素晴らしい方達の協力が得られ、大船に乗ったつもりで稽古を待ち構えたが、始まってみると強力な指導者がいない。というか、皆それぞれが一家を成す人で、逆に遠慮し過ぎて進まない。仕方なく、私と白石さんは二人で読み合わせ、音合わせを始めた。ところが白石さんは、演出の鈴木忠志さんから音楽を聞かないようにと指導されてきたという。まったく四面楚歌。ともかく私が主催者だ。ロサンゼルス、ニューヨーク公演も決まった。覚悟を決めて、ただひたすら頑張って、幕を開けた。これが世界初演。ロサンゼルスでは、私が笛で語り、白石さんが言葉で歌うと認められたが、ニューヨークでは、良い公演ではあるが、言葉の壁があって真意が伝わらないとの評。私はがっかりして日本に舞い戻った。月日が経って忘れかけた頃、突然「水炎伝説」再演の話が持ち上がった。照明の吉井澄雄さんと共に、実相寺さんが芸大の新奏楽堂で公演させてくれるという。演奏会形式ではあったが、今度は私がすべての責任を持ち、それを皆さんがフォローして下さり、実相寺さんは撮影までして下さった。石井眞木さんは私の希望を受けて一人打楽器から六人打楽器へと改訂し、指揮もして下さったが、翌年亡くなられてしまった。実相寺さんも亡くなられた。皆さんの遺言のようなこの作品を2016年1月もう一度「新版 水炎伝説」として再演する。笛の内なる声をきき、神楽の庭で自由に羽ばたきたい。水炎という言葉は、私の求める笛の音を表現しきっている。

2015年正月元旦

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