横笛赤尾三千子の世界
共演 締太鼓 若山胤雄 丸謙次郎 大太鼓 仙波清彦 鉦 野口稠留
屋台 麒麟 亀戸 階伝 夏祭 神田丸 鎌倉 四丁目 屋台
1983年5月23日 東京文化会館小ホール
江戸囃子は、地囃子(屋台—昇殿—鎌倉—四丁目—屋台)と呼ばれる形で演奏されるのが、常識であるが、今回は、昇殿の代わりに、「間もの」が演奏される。これは、地囃子が、笛や太鼓の合図次第で自由に即興性を楽しむことができるのに対して、きちんと間が決められており、深川と佐賀町にある、木場の「角乗り・力もち」行事の囃子として、それぞれの動きが曲の中に生かされているものである。特に、麒麟は鳳輦の宮出し等にも使われ、そのゆったりした旋律には、位が感じられる。
(プログラムノートより)
雅楽の龍笛の勉強を続けていた頃、「笛に若山胤雄という名人がいる、一度聞いてみなさい」と教えてくれた人がいる。水道橋能楽堂だったか、他の方と一緒のプログラムだったと思うが、若山胤雄氏が登場し、笛を吹いた。格好がいいとはこのことか。粋でいなせで、格が高く見事。笛にはこんな形があったのかと感動。さっそく龍笛の芝祐靖師に祭囃子を習いたいと相談すると、若山胤雄氏ならと許可して下さった。蔵前のお宅に稽古に伺う。初めて篠笛を手にし、長唄の笛を習う。指番号が書かれた数字の譜面、曲が変わるたびにレコードを買って勉強したが、稽古は五分で終わってしまう。数字譜にも慣れ、能管も習い、音も出てきた。稽古場には、先輩の書いて下さった譜面のノートがあり、それを書き写していたのだが、祭囃子の譜面はない。レコードに簡単な譜面のついているものがあったので、それを参考に、自分で吹いてみる。いよいよ覚悟を決めて、「祭囃子を教えて下さい」と自分で採譜したものを吹いた。それではと、祭囃子の稽古に入った。やっと五分の稽古から脱出。若山先生は、まるで江戸っ子。言葉も仕草も、始めは意味も掴めないほど。ここにこそ音があると、一所懸命耳を傾けた。祭囃子の稽古に入ってからも、こちらが吹いたものをチェックするという感じで、自分で音を採らなければ先へいけない。いつも暗中模索の状態だった。先生ご自身が、先輩方の手を真似し、名人の後ろで必死に手を盗み、囃子の手を完成させていらしたのだ。名人は、毎回違う手を吹いて、決して真似させなかったという話も伺った。膨大な楽譜を与えられる西洋音楽の勉強法とは違うのだ。考えた末、私の演奏会に出演して頂いて、その為の稽古から自分なりの祭囃子を作っていくことにした。ハワイ、ロサンジェルスでも演奏して頂いた。若山先生は、里神楽、祭囃子、長唄。笛、太鼓、舞、全てご自身でなさり、指導される。頭のてっぺんから爪先まで江戸に磨かれている。短い言葉から全てをくみ取らなければならないが、若い優秀な人たちがいつも先生を囲んでいた。私は横笛演奏家になるため、さらに能楽の勉強へと進んでいった。私を弟子だと周囲に言って下さっていたが、まだまだ習い足りない。縦横無尽に笛を操る若山先生のお姿からは、江戸浮世絵にあるような、繊細さ、大胆さ、緻密さ、華やかさ、名人芸という、江戸の華が感じられる。
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